第4日目はフィレンツェ。イタリアでもっとも価値のある芸術の都と言われている。たしかにこの街には、古いものもあるが新しい芸術もきちんと存在する、そんな印象を受けた。 |
第4日目:フィレンツェ観光
バスでフィレンツェまで移動。まずは、フィレンツェの街が一望出来るミケランジェロ広場に行く。
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広場は丘の上にあり、中央にはミケランジェロのダビデ像が飾ってあった(もちろん模造)。
しかしピーカンの空の下、なんかそぐわない雰囲気。たぶん、夜はコワいだろう。
市街地ではまず、ドゥオモに入る。
この『ドゥオモ』というのは聖堂という意味で、ということはフィレンツェ以外の都市にもたくさんのドゥオモがある。
とにかく大きく、重厚で豪華な大理石の造り。思わず嫁さんも「うわーパチンコ屋さんみたいー」と感激。
床にはぎっしりと色の違う大理石がはめ込まれ、床全体が壮大なモザイク画となっていた。
あちこちすり減っていて、ちょっと心配になる。踏んでいいのかよ、とも思うが、踏まないと中に入れない。
ミサがない時は、このモザイク画を観光客に見せるために椅子が全て片付けられている。
また、堂内にある十六世紀作成の時計は、今も係員の手により時刻を告げている。
次に、ウフィッツィ美術館へ。ルネッサンス期の絵画を大量に蔵しているこの美術館は、全館が撮影禁止。
撮影というのも、善し悪しだなあ。
日本で見送ってくれた人達に写真を見せてあげたい気もするけど、作品の鑑賞というのは、やはりファインダー越しに観る場合と、裸眼で直接観る場合とでは絵から受けるインパクトが格段に違う。というか、見方そのものが変わってくる。裸眼の場合の方が、露光やピントなどを気にせずに純粋に絵を鑑賞出来る。ファインダー越しだと、いろいろと気づかいが多くて・・・。
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ここの展示物もすごかった。
義務教育を受けた人なら必ず一度は見た事があろう、あの『ビーナスの誕生』が手を伸ばせば届く距離に展示してある(ちなみに、伸ばしたらブザーが鳴って警備員が飛んできます)。寓話的内容に富んだ作品で、技法も、いかにもルネサンス期らしい個性的なタッチなのだが、残念だけど僕には歴史的な価値しか感じなかった。
実際のところ、芸術的な完成度はどんなものなんだろうか。
むしろ、もっと他の作品にこそ、画法の諸則や宗教的規制から離れ、絵描きが感動のままに、自在に、心にまかせて筆を進めることの喜びと熱い想いに満ちているようにみえた。それで決して下卑ていず、もちろん破綻もなく、素晴らしく質の高い作品に仕上がっている。
しかし、どうしてこの時期の絵描きはこんなに素晴らしい絵、特に人物の表情が描けたのだろう。
観るだけでこちらの心が鎮まるほどの深い憂いを、強烈な意志の力で抑え、平静を保っている、そんな表情の絵画、彫刻がなんて多いんだろう。
博物館、美術館の中ではおしゃべりは禁止されているが、むしろおしゃべりなんか出来ない、そんな雰囲気を作品自体が漂わせている。清浄で深みのある空気の底で僕らは、魚のように徘徊するのみだ。
そんなことを一番鮮明に感じたのは、ラファエロの肖像画を見た時だった。非常に知的レベルの高い存在が、俺の話を聴いてみるか、と問いかけてきているような、とても奇妙だけど霊的な感動を、20代の彼が遺した自画像より受けた。
前後しますが、これは美術館に入る前に食べた昼食です(食べかけでごめんなさい)。
添え物に注目してください。この緑色の、ベトッとした感じの物。これはほうれん草の水煮です。
テレビアニメのポパイに出てくる、あれです。これの缶詰を、ポパイは食べていたわけですね。子供の頃は、あれがとてもほうれん草には見えなくて、なんで缶詰にほうれん草が入っているの?どうしてあんなにグチャグチャなの?と、およそ想像の範疇外だったのが、こうして現物を見て、やっと理解する事が出来ました。
アニメの中にでてくるこれはすごくマズそうですが、実際に食べてみると薄く塩味がついていて、好みはあるかと思いますが食べやすく、美味しかったです。
この日の夜は、ホテル裏のスーパーマーケットに食料を買い出しに行くとこにした。
普通のスーパーですね。ダイエーの方が規模は大きい。こんな郊外型スーパーマーケットで一週間分の買い物を済ますのがイタリア流らしい。夜の9時なのに、カートの上下に商品を満載してうろうろする地元の方が多数いた。
僕はさっさと部屋に帰って飯食って一服したいのに、こんな安物屋で「お土産物探そうか」と嫁が言い出した時には微妙にキレた。しかも、一時間も選んで買ってきた物なのにほとんど食べないときたもんだ。これだから女の買い物は・・・。
あしたは水の都・ベネチア。ええと、仮面が欲しかったんだっけ?しこたま土産物探しにつき合ってやるよ。
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